高校卒業後に渡米して秘書、P&Gで広告プロデューサーに。専業主婦も経験して再度最前線へ。

四方結花

四方 結花

Yuka Shikata
ウィメンズキャリアメンター、
コーチ、研修講師、
(株)conconcom代表取締役

【資格】
ウィメンズキャリアメンター、生涯学習開発財団認定プロフェッショナルコーチ、プリマリタルカウンセラー、心理マリッジカウンセラー
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【メンタリング価格】
1回お試し 13,000円/時
3回パック 36,000円(12,000円/時)
5回パック 55,000円(11,000円/時)
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事務局手数料が加算されます:
お試し10%、3回 8%、5回 6%

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INTERVIEW


今までのキャリアを教えてください

私はこれまでの仕事人生の多くを、米系企業P&Gのマーケティング・広告部門で過ごしてきました。しかし高校を卒業するまでの私は、海外とは無縁でした。

私が通っていた高校は進学校で、大学進学率は100%。しかし私は受験した大学にすべて落ち、そこで初めて考えました。「大学進学への確たる目標など私には無い。それならば早く社会に出たほうが良いのではないか」と。当時から英語への興味があった私は、英語を使う仕事、中でも秘書に就くことを目指しました。私の両親や先生は驚きましたが、私は「ほかの人たちが大学に通う4年間を私に下さい。大学に進学した人たちが社会人生活を始める頃、私はちゃんと自分の目標を達成させます」と約束したのです。

そうして高校卒業後、英語秘書専門学校に進学しその後アメリカへ。帰国・卒業後は学校からの推薦で日系化学会社の社長秘書職に。勤務していた2年間で、私は日本企業の秘書が体得すべきことを実地で全て学び、また海外工場からのビジターの来日時には彼らのアテンドも任されました。しかし毎日英語を使うほどでは無かったために物足りなさを感じ、退社して再渡米。カリフォルニア州サンディエゴの秘書コースで学び直しました。

帰国後、イギリス系の船会社に就職しましたが秘書職では無かったため、秘書職を極めるべく再び転職、P&Gのマーケティング部門でのバイリンガルセクレタリーとなり、P&Gから私の本当のキャリアがスタートしました。


P&Gで秘書から広告の仕事に変わった経緯を教えてください。

P&Gには、私が求めていた“秘書業務で英語を毎日使う”環境がありました。しかし当時交際していた男性がアメリカ本社に2年間赴任することになり、インターネットなど無い当時の環境で離ればなれになるのが嫌だった私は職場結婚と同時に退社。彼と一緒に3度目の渡米をしました。

夫の2年間のアメリカ本社勤務から帰国するタイミングで、私はP&Gマーケティング部門の秘書に復帰。職場復帰してから約1年後、P&Gが急発展し、それまで社内に1人しかいなかった広告担当の手が回らず、私に声がかかりました。こうして私は、広告の世界に足を踏み入れました。1人ですべてを切り盛りしていた上司のかばん持ちをしながら広告制作をゼロから学ぶ日々。広告制作の仕事の中心は東京だったため、関西から東京へ頻繁に出張するようになりました。またアメリカ本社にも3か月間赴任し、アメリカの広告スタイルを学びました。

4度目の渡米から帰国後、妊娠が分かりました。


出産、復職はどのように乗り切ったのでしょうか。

当時は出産退職が珍しくない時代でしたが、私には退社は考えられませんでした。しかし外資系企業とは言え、総合職で子どもを産んだ女性がほとんどいない時代。先達となる人がいない状況で、出産直前まで飛行機での出張を含め仕事をしました。さらに娘を出産後、両親宅のすぐそばに引っ越し、両親に娘の面倒を見てもらいながら仕事を続けました。当時、約30年前は、産休はあっても育休は無く、P&Gですら制度が整っていなかったのです。しかも産休明けの翌日に東京への出張を命じられました。

母親モードから仕事モードに切り替えた瞬間に母乳が止まったことを今でも覚えています。娘が1歳になった後に彼女を保育園に入れ、私が毎朝娘を保育園まで送り、両親に迎えに行ってもらっていました。当時は海外出張が多く、家を1~2週間空けることも多かったのですが、それも仕事がすごく楽しかったからこそ。でも私の中では家族が一番大切であるという気持ちと、休日を100%家族との時間に充てることは忘れませんでした。

夫にも育児に協力してもらいましたが、私自身が彼を戦力と考えていなかった(笑)でも私は、その状況を素直に受け入れていました。なぜなら夫の収入だけで家族が生活できたにも関わらず、好きな仕事をさせてもらっていたからです。今ならともかく、30年前は実際に私が「十分に生活できるのに、なぜ子どもがいながらそんなに仕事するの?」と、専業主婦の方から聞かれたことがありました。でも私にとって、実は“仕事をする”こと自体はそれほど重要ではなかった。本当に大事だったのは“私が今取り組んでいることが好きか嫌いか”だったのです。

ただ一方で、日本法人本社の移転に伴い両親に頼れなくなり、仕事の途中で迎えに行った小さな娘を会社に連れて行って仕事を続けることを止むなくしていました。その生活に娘が抵抗を示し始めたのです。当時ちょうど、多額の予算をかけたコマーシャル制作を終え、仕事で達成感を得たタイミングでもあったため「仕事は十分にやり切った。でも母としての後悔を残したくない。今は子どもから必要とされているのだから、必要とされている場所に行こう」と思い、2度目のP&G退社をしました。幼稚園ママの経験も、家族中心の専業主婦の生活も私にとっては新鮮で楽しく貴重なものでした。


産後の退職とその後について教えてください。

そうは言いつつ、専業主婦生活を6年も送るうち、疼きだしました(笑)仕事を探そうと思った矢先に、P&G時代の上司が私に声をかけてくれたので、3度目の復職をしました。しかし職場復帰後、特にIT関係で浦島太郎状態に(笑)不安だらけだった私は上司に「3年間だけ頑張ります。だからその間に代わりの人を探してください」と伝えました。でも結果的に12年も在籍(笑)管理職に就き、ようやく能力と年齢と経験が良い具合に組み合わさり、仕事がしやすくなったのです。男社会である広告業界で、女性の私はかつてプレッシャーに苛まれていましたが、40歳を過ぎてから堂々と物が言えるようになり、彼らも私の話を聞いてくれるようになりました。

しかも社内外の若い人たちが、私に仕事のことやプライベートについて相談しに来るように。彼らの成功に向かって共に走る、いわば“メンター”のような存在だったと思います。


P&G時代にストレングスファインダーを受けたことで大きな影響を受けたのですね。

P&Gの管理職以上の社員は全員“ストレングスファインダー”の講習受講を義務付けられました。私はそこで「自分は人に寄り添うことが好きなのだ」と実感。そして初めて“コーチ”という仕事の存在を知ったのです。コーチングの勉強会などに赴くうちに、プロコーチを目指すように。一方でP&Gのマーケティング部門がシンガポールに移転、会社の大きな変化のタイミングで、次のステップに向かうために退社。ここで私のP&Gでのキャリアは幕を閉じました。


独立後はプロデューサーとコーチ、そしてメンターとして3足のわらじを?

そうですね。退社の翌年にプロコーチとして独立。一方でP&G時代に築いた豊富なネットワークを元にフリー広告プロデューサーとしての活動も始めました。

そして今年(2019年)の夏、さらに転機が訪れました。

とあるコーチングの勉強会に参加した時、Mentor Forを知り、気になりました。「私がやりたかったのは、メンタリングだったのではないか?」と。

すぐに私は、福岡で開催予定だったウィメンズキャリアメンター講座・基礎編に申し込みました。そしてその翌週に開かれたウィメンズキャリアメンター講座・理論実践編を受講。Mentor Forの認定講師や公式メンターに絶対になるのだと思い、メンタリングの有料セッションもどんどん試していきました。私のメンタリングが口コミで広がり、多くの人たちから依頼を受けました。“自分を必要としてくれている人たち”がいることを噛みしめながら、晴れてMentor For公式メンターへ。来年(2020年)1月より、ウィメンズキャリアメンター養成講座・基礎編をスタートします。


四方さんは出会いやチャンスをすぐに行動につなげていますね。

まさにその通りです。出会いのチャンスやきっかけを逃さないようにするのが“幸せになるための鉄則”だと私は思っています。自分があることに興味を持ったら、素直にその気持ちに従うこと。頭で小難しく考えると、ついつい先のことまで考え「やっぱりやめよう」となりがちです。そうではなく「今頑張っていることが自分の成功へとつながっていく」と考える – それが、私が皆さんに一番お伝えしたいことなのです。先のことではなく「今は何が大事なのか」「今は何がやりたいのか」を考える。それらを積み重ねるうちに“自分がなりたい自分”になれている – それを私は皆さんにお伝えしたいですね。

私は自分の人生を全て自分で決めてきました。自分の人生なのだから、自分の好きなように生きれば良い。自分の人生なのだから、もし失敗したとしても、自分で責任を取れば良い。失敗しても、そこで諦めなければいい。まずは「誰のために生きているのか?」と自分に問うてみてはいかがでしょうか。自分がやりたいことを全うすること – それが私の考える“豊かなキャリアの構築”です。

他に大切なこと。それは“今の仕事が嫌”“今の上司が嫌い”“今の仕事は私のやりたいことではない”という理由でいい加減に仕事をしてはいけない、ということです。たとえ退社する場合でも「よく頑張りましたね。お疲れ様、ありがとう」と言われて職場を去ることが、次につながります。

そしてもうひとつ大事なのは“自分が必要とされているところに身を置く”こと。もし世の中に“自分がいたい場所”と“自分が必要とされている場所”があり、両方を選ぶことができないとしたら、私は迷わず後者を選びます。

人生は本当にドラマチック。そのひとつひとつの場面を楽しんでください!

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