配偶者の闘病とワーママ管理職、国際業務を両立したからこそ見えてきたこと


櫻木 友紀

Yuki Sakuragi
ウイメンズキャリアメンター、キャリアコンサルタント、コーチ、研修講師

【資格】
国家資格キャリアコンサルタント、コーチ、Points of You®認定エバンジェリスト、ファミリーサポート サポーター、ウイメンズキャリアメンター
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【メンタリング価格】
1回お試し 14,000円/時
3回パック 39,000円(13,000円/時)
5回パック 60,000円(12,000円/時)
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INTERVIEW


今までのキャリアを教えてください

商社マンの父に同行して渡米し、小学校4年生から高校卒業まで東海岸のニュージャージー州で育ちました。幼い頃に患っていた小児喘息の影響で、薬が常に身近にありました。その影響で、小学校2年生にして薬の道に進むことを決意。まだ人種間の壁が感じられたアメリカで成長するにつれ、人の病を治してくれる薬の開発は、世界中の人たちが協力し合え、どんな国の人にも喜ばれ、国境を容易に越えさせてくれる素晴らしいものだと考え“日本で薬の開発に携わり、その薬を世界中に届ける”ことを目指すようになりました。
 
そんな夢を抱いて高校卒業後に日本に帰国し、東京理科大学薬学部に入学。卒業後は日系製薬会社に入社し、欧米向け医薬品の開発に携わりました。その会社から生まれた薬を欧米各国の規制当局に承認申請するプロジェクトに関わり、入社6年目でそれが実現しました。つまり昔からの夢が叶ったということです。
 
そこで、私は燃え尽き症候群に陥ってしまいました。思えば小学校2年生の時以来、私は薬のことしか考えてこなかったし、長年の夢を思ったより早く達成してしまったので、次の夢が思いつかなかったのかもしれません。さらに周囲の人が製薬会社の人ばかりという環境だっただけに「もっと広い世界を見たい!」と思うようになりました。そこで出産前には「“人の生き死にに関わらない”、別の世界を見ておこう」と、製薬会社を退職して派遣会社に登録。大手電機メーカーで当時世界最大級の国際イベントに携わったり、NGOの海外スタディーツアーに参加したりと、いろいろなことをやりました。

ところが、出産後に仕事復帰計画を立て始めた頃、息子が1歳3か月の時に夫が病に倒れてしまいました。入退院と手術を繰り返す夫の看護に携わるうちに「やっぱり私は人の生命に関わることが好きなのだ」と実感し、夫の復職を見届けた後、必死で仕事を探し幸い外資系製薬会社で派遣社員で採用されました。そこから、正社員を経て管理職になります。

その外資系企業で10年弱、規制当局で2年ほど勤務した後、退職。薬の世界でやりたいことはやりつくしたし、自分だからこそ出来る仕事は何だろうと考えていたのです。その頃、高校生になった息子が、学校から“将来の仕事リスト”を持ち帰ってきました。それを何気なく見ていた時にビビッときたのが、国家資格であるキャリアコンサルタントだったのです。「まずは勉強してみよう。たとえこの道に進まず、管理職として再び企業に戻ったとしても、この資格の内容は活かせるだろう」と思いました。その学びの中で本格的に仕事にしたいと考えキャリアコンサルタントとコーチの資格を取得し、独立。キャリア面談に加えて、女性リーダーや管理職向けのキャリア研修などに携わるようになりました。


お子さんが小さい時に配偶者の闘病。大変でしたね

小さい息子を抱えて、即時判断を要する困難な状況が次々と押し寄せてきて。でも私が出来ることは限られている。その虚しさに加えて「しっかりしなきゃ!」という思いが強すぎて、泣く余裕もありませんでした。ちょうど同時期に父の難病も発覚し、あっちもこっちも、の状況でした。この経験から「人生は何が起きるか分からない。だからリスク管理のために共働きしていた方が良い!」といろんな人に口酸っぱく言っています(笑)。

夫の復帰を見届けてから私も仕事を再開し、更には管理職になりました。そして、仕事が進めば進むほど、会社の期待も強く感じるようになりました。
 
仕事は好きでしたし、期待をバネにして頑張れた反面、もちろん、時には落ち込むこともありました。祖母や父が相次いで亡くなったり、まだ完全に回復したとは言えない夫のことなど、簡単に周囲に話せないような出来事が多発し、出口の無い悩みを多く抱える時期が続きました。しかし私が落ち込んだり、家庭との両立で悩んだりする様子を見せてしまったら、後に続く後輩が「私が管理職なんて無理」と思ってしまうのではないか・・・そのようなプレッシャーを、次第に自分にかけるようになりました。
 
自宅でも仕事ばかり。息子にちゃんと関われていない。仕事も家族も大切すぎて、頑張って乗り越えると、また次の課題・・・
「私はどこまで頑張れば良いのだろう」と四方八方が塞がれたような気持ちに陥り、気が付くと歩きながら勝手にポロポロ涙が出ていることがありました。
今思えば、弱音を吐く時間ももったいない、それで周囲に迷惑をかけたくない、そう考えていました。自分が頑張れば良いのだと、結果的に、強がっていたのですね。


管理職になってよかったですか?

予想以上によいことがあります。より高い視点での意見交換が増え、成長しました。また、一人前に仕事が出来ることが前提で管理職に昇進したので、一般社員の時よりも上司からのチェックが少なくなり、自由になりました(笑)。組織に関して堂々と意見を出せるようになり、自分で動ける範囲も広がったのです。他には、例えば、ミーティングなどの調整も、自分に合わせたスケジューリングがある程度可能になりました。
 
もともと、管理職は負担に思えて、3年間くらい打診を断り続けていたのですが、なってみると「早くなっておけば良かった」と思ったくらい(笑)
 
女性はもっと管理職に積極的になってもよいと改めて感じます。私の場合、スケジュール管理がしやすくなったので、先の見通しが立てやすくなり、子育てもしやすくなりました。


管理職になって後悔したことはありますか?

“仕事も子育ても全部こなしてしまう女性管理職”の姿を周りに見せてしまったがために、その後の世代にもプレッシャーを与えることになってしまったかもしれないという負い目はあります。
 なぜなら当時の後輩女性たちは、当時の私の悩みや苦しみを知らなかったはず。彼女たちの目には“仕事も子育ても軽々と両立させているカッコいい管理職”と映っていたと思います。
弱みや悩みももう少しオープンにすることで「いろんなタイプの女性管理職がいた方が良いのだよ」ということを伝えてもよかったな・・・と思います。


様々な困難を経験されましたが、どのようにして乗り越えましたか?

いえ、私は結局「乗り越えることができなかった」と思っています。そんな忸怩たる思いがあるからこそ、こうして私はメンターになることを強く望んだのです。
 もしあの時の私が、
自分の状況を話せる場を探したなら、弱音を吐く勇気を持ったなら、違う視点からの考え方にも気づき、あんなに一人で耐えずに済んだかなと思います。組織やチームのせいではなく、自分自身が枠にとらわれ、勝手に抱え込みすぎたことが原因ですから。
 
他にも、思い出すたび辛くなることがあります。
管理職の時、仕事と育児のバランスが取れずに辞めていったスタッフがいました。私は彼女が辞めることを知り、声をかけ、話を聞きました。どんなふうに辛かったのか、どんな気持ちで退職を決めたのかを聞き、私からは先輩ママである自分の経験を少し話しました。それだけのことでしたが、彼女は泣きながら「もっと早く話してみれば良かった」と言いました。その時、先輩ママとして何か出来なかったのだろうかと考えました。
でも、社内の人に家庭内のことや自分の感情を話すことは、やはり躊躇しますよね。


メンターになってみてどう感じますか?

振り返れば「社外メンター」は誰よりも私自身が欲しかった存在でした。だからすごく思い入れがあります。メンターとなった今、心から思うのは「適切なスキルも持ち、守秘義務もある、安心安全な場の社外専門家を活用して欲しい」ということです。
 
会社でどれだけバリバリ仕事をしていたとしても、実は人知れず何かを抱えている、四方八方塞がれた気分でいる – ライフイベントに直面することが多い女性、特にまだまだサンプル数が少ない女性リーダーに、そんな状況に陥っている人はたくさんいると思います。また、女性の部下を持つ管理職のお役にも立ちたい。管理職が変わることで部下も変わると信じていますから。
 
勇気を出して、小さくても一歩踏み出すと、いろんなことが変わります。逆に、踏み出さなければそのままで、何も変化は起こりません。
 私はメンターとして、そのような女性たちに寄り添い、一歩踏み出せるお手伝いをしたいと思います。


 

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