日本人初のペンタゴン勤務を達成、そこから起業・独立の道へ

中野 敬子

Keiko Nakano
エグゼクティブ・コーチ、コミュニケーション・コンサルタント、ウイメンズキャリアメンター

【資格】
ウイメンズキャリアメンター
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【メンタリング価格】
1回お試し 24,000円/時
3回パック 69,000円(23,000円/時)
5回パック 110,000円(22,000円/時)
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【著書】
「たった7つの動詞ではじめる 奇跡のすらすら英会話」(JTBパブリッシング, 2017年)

INTERVIEW


今までのキャリアを教えてください

中学生の頃、フィリピンで起きた政変をニュースで見た私は、“ピープル・パワー”と呼ばれた民衆の力の凄さを感じました。でも一方で、戦争を始めるのも人間です。良い方向にも悪い方向にも動く人間の本質と、戦争を防ぐための処方箋を知りたいという思いから国際政治に関心を持ち、やがて安全保障に興味を持つようになりました。日本の大学で国際政治、その後進んだロンドン大学大学院では安全保障を専攻。それらを通じて得た知見を活かし国に貢献したいと思い、私は防衛庁へ。入庁2年目で、防衛大臣通訳に抜擢されました。戦争体験のある党の長老から、石破茂さんのような当時の若手有力政治家まで、4年間で計6人の大臣の通訳を担当。通訳の任務を終えた後、3年間の国際情勢分析業務、4年間の国内・国際広報業務などを経て、邦人初の米国国防総省(通称ペンタゴン)派遣となりました。
帰国後、国際政策業務に異動。その頃に結婚し、その後すぐに妊娠しました。育休から復職後、これまで経験したことのない業務の職場に配属。悩みつつも、育児と仕事の両立に奮闘していました。一念発起で防衛省を退職し、その半年後に英会話スクールを開業しました。その後、2018年4月に事業譲渡をし、また一旦立ち止まり、新たな道を模索し始めます。現在はプロのエグゼクティブコーチ、メンターとして活動しています。


日本人初のペンタゴン派遣への道を掴んだのはどのようなきっかけでしたか?

派遣にあたり、防衛省の先輩方から強力なサポートを得ることができました。また、それまでの仕事を通じてアメリカの政府要人やペンタゴン関係者との知己を得ていたことも手伝って、現地ではスムーズに受け入れてもらうことができました。日米という国を超えた人と人のつながり、縁の不思議さ、善意の有難さを実感する経験でした。
 
多くの日米の関係者が積み上げてきた”信頼貯金”を使わせてもらっているような感覚というか・・・その”信頼”の輪の中に入れてもらえたことで、大きなチャンスをいただけたように思います。


要人との仕事が多かった中野さん。エグゼクティブと仕事をする上で工夫した点をお教えください。

特に大臣通訳時代は、大臣が代わるたびにゼロから信頼関係を構築する必要がありました。特に他国の大臣とのミーティングは、国益をかけた真剣勝負の場ですので、話し手と通訳の信頼関係の構築は不可欠です。
 私は、要人、キーパーソンとの信頼関係構築のために、顔合わせ前の事前準備を周囲の方に呆れられるほど徹底していました。
 
また、その過程で疑問に思ったことは、忖度せず、率直に質問することを心がけていました。特に準備段階では、通訳をさせていただく方が取り上げられた情報を、新聞・雑誌・テレビ番組・著書、ウェブなど手に入れられる限りを集め、読み込みます。そして、人物像から個々の発言の背景や意図まで、自分なりに理解を深めます。その上で、疑問に感じたことや、発言の真意など知りたいことは、率直に伺い、お答えいただいていました。どなたも、真剣な質問には必ず本音で答えてくださいます。短時間であっても密度の濃いコミュニケーションの機会をいただくことで、正確な通訳に近づけることができます。結果的に、通訳を介して、ご自身の真意がミーティング相手に正しく伝わったという印象を持ってもらう、その積み重ねの中で、信頼関係を築かせていただいたように思います。
 
仕事に取り組むにあたり、「悲観的に準備し、楽観的に対処せよ」という言葉を念頭に置いています。これは、入庁前に薫陶を受け、私のメンター的存在でもあった故・佐々淳行先生(初代内閣安全保障室長)の言葉です。今も変わらず大切にしてる私の仕事のモットーです。


なぜ国家公務員を退職し、起業したのですか?

子育てがきっかけで、私の中に新しい気持ちも芽生えてきました。
「これまで私は、自分の残りの人生、せいぜい今後50年間のことを“未来”だと考えていた。でもこれからは、娘や同世代の子供たちが生きていく今後100年間が、私の考えるべき未来になったんだ。じゃあ、私にしかできない使命って何だろう?」・・・娘が寝た後の暗く静かな寝室で考え続け、やがて「人材育成に貢献したい」という思いが募りはじめます。

仕事の経験を通じて“英語コミュニケーション教育”に取り組むことにしました。日本人は伝えるべきメッセージやアイデアを持っているし、あらゆる分野でリーダーシップを発揮できる能力も持っている。それにも関わらず、減点主義のトラウマから、英語コミュニケーションに対し苦手意識を強く抱いている人があまりにも多い – 私は「国際舞台で堂々と英語でコミュニケーションが取れる日本人を育成したい」という思いに駆られました。そして英会話スクール立ち上げへと繋がります。やがて徐々にではありますが、個人のみならず企業や大学からの仕事のオファーをいただくまでに成長し、とてもやりがいを感じましたね。


現在もプロのコーチ、メンターとして多くのエグゼクティブと関わる中野さん、成功者の共通点を教えてください。

3つあります。
一つ目は「ゴールのイメージを鮮明に持っていること」。その人たちには自分の在りたい姿、実現したいことがはっきりと見えています。
二つ目は「それに向けてやるべきことを日常生活レベルに落とし込み日々実践していること」。
三つ目は「ゴール実現まで努力を持続させる情熱を燃やし続けること」。成功者と呼ばれる人たちは、これらを全て成し遂げています。


なぜメンターを目指したのですか?

相談できる場や相談相手を見つけにくい働く女性たちは、孤独感を感じやすいものです。私自身も様々な不安に苛まれていました。そうかと言って、職場内で悩みをさらけ出すことには抵抗があるもの。プライベートで仲の良い同世代の友人たちとは、ライフステージによって悩みのテーマもおのずと異なります。私の場合、企業の管理職や起業家として活躍する女性の先輩方がメンターとしてアドバイスしてくれたことで気持ちが軽くなったことなどを、メンターという言葉に出会った時に思い出しました。

私は幸運にも人生の節目節目でメンターに恵まれる人生でした。例えば、大学や留学したイギリスの大学院での恩師、大学院卒業後に仕事と向き合う姿勢を叩き込んでくださった佐々淳行先生(初代内閣安全保障室長)、職場内外で出会った業界の重鎮や人生の先輩、そして現在私がお願いをしているメンターの方・・・もはや「メンター無しではここまで歩んで来られなかった」と言っても過言ではありません。
しかし悲しいことに、恩師としてお世話になった方たちの多くが鬼籍に入ってしまった・・・そんなことをふとつぶやいた時、ある人に言われたのです。
 
「それはメンターの皆さんから中野さんにバトンが渡されたということじゃないかな。ここから先は、あなたは誰かに導かれる人ではなく、誰かを導く側の人になったということだね」
 
そうか!と思いました。女性には妻や母親、ビジネスパーソンなど、様々な役割が求められるもの。それらに追われるうちに、ついつい自分のことを後回しにしてしまうものです。自らのキャリア形成やこれからの人生について、自分と対話することなど滅多に無いことでしょう。そんな人たちが、自分にとって幸せな人生を追求する。彼女たちを励まし、彼女たちに伴走するチアリーダーのような存在に、私はなりたいと思いました。頑張っている人ほど自分だけの力で何とかしようとし、周りからのサポートを素直に受け入れられない心境になりがちです。
 
だけど「助けて!手伝って!教えて!」って声に出していいのです。もしメンタリングによって救われたなら、今度は自分が次の世代に“恩送り”すれば良いのですから。
それはまさに今の私がメンター活動を通じてやりたいこと。私がこれまでの人生で出会ったメンターたちから学んだことを、次の世代に伝え、それにより悩みを抱える人たちが元気に笑顔で前進するためのお役に立てるのであれば、これほど嬉しいことはありません。


 

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